自分がアダルトチルドレンだと気付いた話。その他諸々思ってること吐き出す。

こんにちは!お久しぶりです!

 

えー・・・

 

うととです( ✌︎'ω')✌︎

 

 

今日は真面目な話するぞ!長々とな!!!!

 

 

 

 

最近私はネット上のいろいろな記事を目にする中で、一つのワードに興味を持ちました。

それは、前々からちらほら見たり聞いていたりしたワードで

 

アダルトチルドレン(AC)」

 

という言葉でした。

 

 

アダルトチルドレンとは、様々な問題を抱えた親のもとで育ち、大人になっても心に苦しみを抱えながら生きている人たちのこと」という意味で、決して子供っぽい大人とかなんかそういう意味じゃないです(笑)

 

例をあげるならば、親がアル中だった、ギャンブルにのめり込んで家庭が崩壊・・・とか、そんな感じの家庭で育った子がなってしまったりするようです。

 

すなわち、機能不全家族というものの中で育って大人になって、あれ?生きにくいぞ〜ってなっちゃうやつです。簡単に、簡単にいうとね!日本語おかしかったらごめんね!!!(必死)

 

 

で、記事色々読んでて、あれ?これわし・・・・ってなったので今まで思ってたことをまとめるためにもここに書かせていただこうと思いました。

 

 

機能不全家族の家庭環境には、主な環境として

 

「身体的虐待」「性的虐待」「精神的虐待」

 

の3つがあります。

 

 

ここでは主に精神的虐待のことについて書いていこうと思います。

 

身体的=暴力

性的=そのままの意味

精神的=?って具体的にあまり出てこないかもしれないので引用した原因のあれこれを貼って起きますぞ↓ 

 

  • 両親の仲が悪い
  • 子供の存在を否定する
  • 子供を傷つけるような暴言を吐く
  • 他人や兄弟を頻繁に比較する
  • 子供が親の都合に合わせなければならない
  • 親が表面だけを繕おうとする
  • 親が依存症や共依存しがち

 

こういうのが原因になるみたいですね。

 

 

では私が体験した、している、実際のケースを書いていきますので、文章も時系列もグチャグチャでよろしければお読みください。

 

 

 

私は、幼い頃母親を亡くしてしまいましたが、小学校に入学すると同時に父が今の母親と再婚しました。

 

その頃の私の一番最初の記憶は、その女の人(今の母)にぬいぐるみをもらって嬉しそうにしている自分。

 

そしてその次に、その人と結婚していいか聞かれ、父の人生だし父がいいと思った人ならば好きにすればいいと思い、ええよええよと猛プッシュした事。

 

そして、神社で「パパ」っていう呼び方から「お父さん」という呼び方にしなくちゃ!「お母さん」ってこれから言わなくちゃ!と練習する自分。と、それを微笑ましく見守ってくれる両親の姿。

 

そして

 

 

夜に母親と父親が大げんかをして、母親が家を出ていこうとして、私が必死に母の足にしがみつき、「行かないで」「お母さん大好き」と号泣していた事。

 

 

母は、再婚してから徐々に自分の歪んだ部分を私に見せてくるようになりました。

 

私にはその頃1人弟がいましたが、弟も幼いながら色々言われていて、今思い出してもムカムカしてきます。

 

夜の大げんかも、私たちが多分原因なのはわかっていました。

 

正直、子供の目からしても、私たちに対してあの人から向けられる「見下したような、馬鹿にしたような眼」と、父に対して向けられる「完全なる女の眼」の違いは明らかで

 

父が家に帰ってくると、それまでとは嘘のように人が変わりメスになり、機嫌も良くなりキャピキャピしていたので(笑)

 

その頃は引いて見てましたが、まぁ彼女はまだ子供産んでないし母親の気持ちになってなかったんだな、と今になると思います。

 

何故私が足に抱きつき抵抗したかというと、私は信じていたからだと思います。

 

本当のお母さんは、あの優しい笑顔を私に向けていてくれた頃のお母さんなんだと。

いつか元のお母さんに戻ってくれるから、いいじゃない!と。

お父さんも、結婚した人になんで怒って家から追い出そうとしてるの、私がいけなかったのかもしれないじゃん。なんで?皆もう仲良くしてよ・・・笑顔でいてよ

 

そういう風に思っていました。

今思い返すと馬鹿だな〜と思いますけどね(笑)

 

 

子供はそれほどまでに純粋で、何も知らないから自分の理想に可能性を感じて信じるんだなって、思いました。

 

 

そこからの母親との記憶(一緒に何かしたな〜とか)は、あまりありません。

 

その頃は、親の友達や知人などの人前では仲良さそうに必死にニコニコしていた記憶があります。

 

 

 

 

 

結婚してからガラリと変わった母は、私をことごとく否定してきました。

 

 

「あんた歌下手くそね」

私は人前で歌うのが怖くなり、大勢の中でしか歌えなくなりました。

 

 

「あんたピアノ下手ね」

ピアノが大嫌いになりました。

 

「あんた絵が下手ね」

絵を描く事は物心つく前からしてきた事だったので、こそこそと描いていましたが、自信を持って家族に見せられなくなりました。

 

 

 私は徐々に、自分の意思を失っていきました。

あっても、怖くて口に出せませんでした。

全て言われたように生きてきました。

 

まぁ、突然部屋に入ってきたと思ったら頭叩かれたり蹴られたこともありますが、そんな事はどうでもいいぐらい精神的に参っていて、小学一年生の頃から希死念慮が芽生えていました。

「いしょ」なんかも書いた記憶があります。

紐をカーテンレールやくくりつけられるところに結んで、いつでも死ねる(とその時は思っていた)という安心感で過ごしてきました。

 

 

 

 

 

家では、奇妙なルールのようなものがありました。

 

  • 門限は5時(中学校の頃も部活がない日は5時が門限だった)
  • 家ではテレビを見てはいけない、食事中にニュースでも見ると怒鳴られる
  • バラエティ番組のことを、「馬鹿の番組」と呼び、週に一回一時間だけ、許可された教育系の番組だけ見ることを許される(各国の歴史や動物の生態についての番組を見てました。)
  • 家では勉強、読書(小説)、ピアノ以外のことをしてはいけない(謎の暗黙のルール)
  • 休日に遊びに行くと、決まって「遊んでばっかり」と言われる
  • 友達を家に上げてはいけない
  • ゲームなんてものは買うわけがないぞ〜

 

まぁ、これが私の日常の「当たり前」でした(笑)

 

なので、学校に行ってもテレビの話が分からず、分かる話題になるまで静かにしていました(これが結構話が盛り上がっていたのでキツい笑)

 

 

その中での毎日の母親の罵倒大会が続き、私はとうとう謎に本人に聞きました。

 

「ねぇ、これって虐待?」

 

「そうよ?何やと思ってたの」

 

まぁ、言葉失いましたよね。

 

それからはなんかもう断片的なことしか。

 

「お前なんか死ねばいいのに」

 

って言われたこととか

 

横髪後ろ髪を伸ばしてみたいと思い、その旨伝え、伸ばしていると

 

「貞子や!貞子!」

 

と笑われたり

 

「ホームステイの時私の教え子に会って、○○先生の子供?って聞かれても知らんふりしてよ」

「なんで?」

「あんたの親やと思われたくないから」

「わかった」(この返答がもう既におかしい)

 

という思い出など・・・

 

 

私が一体お前さんに何をしたというんだ

 

 

その一言しか言えねえ・・・

 

 

あっ

 

 

気付いた人は気付いたと思いますが、母は教師です。

人に物を教える立場の人間です。

毎日何食わぬ顔で授業を教え、家に帰り私を邪険に扱ってくれました。

 

 

私はそんなに要らない子なんですか?

 

 

どんなにテストでいい点とっても

 

当たり前。むしろあんた文武両道できているの?

 

って感じで、私に接してきました。

 

私は長女なので、プレッシャーといつも戦っていました。

 

いつも、緊張状態の中で生きてきました。

 

いつも、いつもいつもいつもいつも。

 

 

 

 

時系列がバラバラなのですが、母親も実の子を産みまして、まぁ、本物の母になったわけですが(笑)

 

その子供と私たちの育て方に差がありすぎてもう呆れて笑えましたね、もうね、ネタレベルで。

 

ゲームはたくさん買い与え、友達を家に入れてゲームで遊ぶことを許可し

テレビは見るわ勉強は夜に終わらせるからそれまでゲームしてるし

車で学校まで連れて行ったり

お弁当を朝5時に起きて毎日張り切って作り始めたり

褒めたり、笑ったり、言い合ったり。

 

まるで、画面の中のテレビを見ているような感覚でした。

 

 

 

兄弟格差ありスギィ・・・

溺愛しスギィ・・・

 

 

その、弟となった子達の事は大好きですよ!一生仲良くしていきたいです。

 

ただ、なんか、もう疲れたねここら辺でw

 

 

一度、私の勉強机の物をグチャグチャにされて床に落とされた時は過呼吸になりましたね・・・

 

それと、一度だけブチ切れて掴みかかったことありますね・・・(笑)

掴みかかった瞬間我に帰ったんですけどね・・・

 

 

 

 

まぁ弟ができて少しは丸くなったかなと思ったのですが、それも収まらず・・・

なんか、高校の頃には小学生みたいになった?のかな・・・

 

家の中で、すれ違うたびに

 

「死ね!」

 

「バーカ」

 

「キモい」

 

という具合に私に話しかけてくるんです(白目)

 

ナニコレ

 

中学生のいじめかよwwwwwwww

 

はい、なんかもう無視してましたよ。この辺はもうまじでノーダメージ(笑)

 

 

 

 

一度、思いが募りに募って母に問いました。

 

「なんで小学校一年生の時から虐待してきた?」

「本当にお前なんか死ねばいいのにって思ってる?」

「なんでそういうことしてきたの?」

「なんで蹴るの?叩くの?」

 

書ききれないので省きますが

とりあえず、思っていたこと全部聞きました。

 

なんで、この時こう言ったのか

 

 

すると、またすごい回答が返ってきました。

 

「さぁ?」

 

「その時私がそう思ってたからそう言ったんじゃない?」

 

 

 

・・・・・・

 

なんだろう、この言い表せない感情は。

 

憎い、憎い。

 

憎いけど、呆れて声が出ない。

 

とりあえず、考えることをやめることにしました。

 

いや、このころはもうあまり考えてなかった気がします。

 

 

 

唯一の救いだったのが、周りに住んでいた友達、そしてその家族が色々居場所を作ってくれたこと。

これがなかったら本当に無理だった。

 

ほんまに、ほんまにありがとう。

 

 

 

 

高校の時は、学校生活にひたすら逃げていました。

 

 

高校の時、家を出て一人暮らししようと決めて、卒業と同時に家を出ました。

 

 

 

家を出たら、自由に暮らせるんだ!

 

 

そんな感じの希望を胸に、私は専門学校に進学するために上京しました。

 

 

 

私は絵を描くのが好きだったので、そういうことがしたい(グラフィックデザイン)と親に相談すると

 

普通に絵を描いたりするなら誰でも描ける。webデザインとかの方が需要がある。

 

との返答をいただき、私はWebデザイン科に入学したのであります。

 

 

 

上京してからは、かなり自由になりファッションにも口出しされず、皆いい人で、人間関係は大丈夫でした。

 

ですが、肝心のWebデザインが何も理解できず、苦しんでいました。

 

2年生になった頃、その悩みは本格化し、皆がパソコンカタカタやってる中本当に何もわからない私は先生を呼んだり調べて頑張るしかなかったです。

 

でも、何もわからなくて、理解できなくて、しんどくて。

 

そんな時にふと思いました。

 

 

あれ?なんで自分これやってるんだっけ?

 

これってやりたいことだっけ?

 

え、待ってやりたいことってなんだ?

 

なりたいものってなんだ?

 

そもそも生きなきゃいけないの?

 

 

それがきっかけなのかは分かりませんが、夜眠れなくなりました。

 

頭の中に声が響いてくるようになりました。

 

それは、いつか母に言われた数々の言葉。

 

「お前なんか死ねばいいのに。お前なんか死ねばいいのに。お前なんか死ねばいいのに!!!」

 

うるさくてうるさくて気が狂いそうで、私はうるさい!と叫びました。

 

声が響いて、寝れなくて、だんだん私は要らない子なんだ、私は失敗作なんだ、あの時死ねばよかったのになぁ・・・と思うようになりました。

 

「大丈夫、大丈夫・・・頑張れ、頑張れ・・・」

 

繰り返して、繰り返して

 

でも苦しくて、学校を休むようになってしまいました。

 

 

 

私は精神科に通い始めました。

 

 

人が怖くなりました。人に会うと、そのあと必ず精神的にドッときました。

 

身体にも色々症状が出て、頻繁に過呼吸になり、寒気、火照り、冷や汗、身体の震えなどなど・・・衝動的に頭を壁にぶつけたり首を絞めたり、家を裸足で出て行ったりするようになって、そして死にたいという思いが本格的になり

 

計画をしました。

 

 

一日中、死ぬことや、支えてくれた人への感謝、自分がどれほどダメな存在で損害なのかをすごく考えました。

 

自分が死ねば、奨学金も0になるし、父が貯めていてくれたであろうお金も自分に行かなくて済む。そしたらそのお金で弟が行きたい大学行かせてやってもっと有効活用するべきだと思いました。

 

 

本当に、本当にもう無理だと思いました。

ありがとう、少し、少し眠るだけだと思って、良ければ死んでればいいなと思いながら薬を飲んで寝ました。

 

 

私は吐いて、生き延びました。

 

 

吐いた後は落ち着いて、死にたいという思いは薄れたように感じました。

 

 

 

そこから、精神科を新しいところに変えて通うようにしました。

 

学校にはあまり行けず、でもほんまにギリギリで卒業できたから、良かったです。

 

 

 

 

 

 

卒業して、すぐ決まった就職先は、デザイン系の会社でもなく、未経験の仕事でした。ですが、私は研修中の時に辞めてしまいました。

 

なぜか、死にたい思いが我慢できなくなって、帰りの電車に乗れなくて、夜眠れず体調も最悪でした。

 

 

治ってない、と思い、病院の先生に相談しました。

 

一度全部投げ捨てて、休んだ方がいい

 

そのようなことを言われました。

 

でも、働かないと。働かないとまたあの家に連れ戻される。

 

その恐怖が襲ってきて、そのことも伝えました。

 

すると、いろいろな方法があるということを教えてくれて、私は教えてくれたことを検討してみることにしました。

 

 

その時もう爆発しそうで、連れ戻されるなら今すぐ死のうという覚悟で父にメールを送ってみました。

 

未遂をしたことも、伝えました。

 

すると返答は優しく、私を叱ったりしませんでした。

 

一回、何もせずゆっくり過ごしてみて、そっから自分のペースで働けばいいんじゃないかと言われました。そして、謝られました。

 

涙が出ました。

 

 

 

自分が思っていたこととは違う風に思ってたんだ・・・ということにすごく驚きました。

 

 

 

 

 

現在私はフリーターとして日々過ごしています。

 

一度安定していたものの、引っ越してからここ最近はすごく体調が悪いです。

 

夜から朝にかけて、息が苦しくて横になれません。

 

今あれです、結構ヤバかったりw

 

仕事も体調悪くて休みがちでやばいので、明日あたり精神科にでも行こうかな・・・と検討中でございます。

 

母親とは、溝ができていて、メールでも必要最低連絡事項以外連絡していないです。

 

一度も謝られていません。

 

 

お金がなくて、でもこのままじゃ前と同じみたいになって死んでしまいそうなので、病院行くしかないよね・・・w

 

 

生きにくい!すごい生きにくいよ!

 

 

 

以上が私が覚えていること、経験したこと!です!

 

長々と綴ってしまい大変申し訳ないです・・・

 

 

 

 

アダルトチルドレンとなった子供は、大人になってからとる行動にこんな感じの特徴が出てくるそうです↓

 

  • 身体の不調を訴えることが多い(これまさに今これ)
  • 自分に自信が持てない(これも分かる)
  • 親を憎みながらも同じ行動をとってしまう(これはまだわからない)
  • 将来に対して希望を持てない(ずっと思ってる)
  • 幼少期の記憶があいまい(わかる)
  • 嘘をつくのが習慣になっている(わかる・・・)
  • 周りとの距離がうまくとれない(人による)
  • 衝動的(これね・・・)

 

 

 

自分はなりたくてこうなったわけじゃない。

 

頑張って、頑張って、正直限界きたみたいな(笑)

 

本当はもう生きていたくないですよー!

 

ほんまに毎日毎日、夜になったら毎回、くる。

 

今なんか変なテンション。

 

 

 

子供は、辛いと思っていても助けてと思っていても自分じゃ何もできません。

 

今更訴えようとしても、証言はあっても証拠はありません。

苦しんで育って、一人になってから自分の人生を歩み始めて幸せになる人ももちろんいます。

でも、自分的にやっぱり我慢してきた分一気にくる人も多いのでは?と思いました。

 

子供が苦しんでいたら、その子を守ってあげて。救ってあげて。

 

自分の意思やしたいこと、生きる意味がわからなくなってからじゃ遅いと思います。

 

その子が何かしてしまってからでは遅いと思います。

 

私も、助けられたい。いつまでも苦しい思いをするのはしんどい。

 

自分の子供、大切にしてあげてください。

 

 

 

 

 

皆様も何かしら悩んでいてこの記事であ!うちもこれだ!って気付いてもらえたり、色々思いをぶちまけてもらえれば幸いです。

 

私も長年の思いを断片的、文もめちゃくちゃですが吐き出させていただきました。

 

 

また何か進展あったら書こうかな。

 

 

 

長くなりましたが、最後まで読んでくれた方ありがとうございました。